小浜

 一週間休みをもらえたので、久しぶりに旅行をした。大阪を出発し、愛知県の南知多、岐阜県大垣市福井県小浜市をめぐり、京都を通って大阪へ帰る。なるべく人が多くなさそうで、かつ行ったことのないところに行きたかった。あとは、なるべく名所をめぐるスタンプラリー的な観光をしないこと、無目的にふらふらと動くことがテーマの一つとしてあった。

 

 旅行をするときはいつも、1日あたり15kmくらい歩いている。大都市でなければ、それくらい歩くとなんとなく街のつくりがわかるような気がする。南知多では日間賀島半田駅周辺の蔵屋敷を、大垣では駅から揖斐川のあたりまで歩いた。なにか面白いものを偶然見つける、という楽しみのためだけでなく、時間をかけてその街に体をなじませているような感覚がある。

 

 小浜市に行こうと思ったのは、そこが父方の祖父の故郷であり、実家で何度も地名を聞いてきたにもかかわらず一度も訪れたことがなかったからだ。父方の家系はあまり仲が良くなかったので、今となってはあまり祖父の記憶が残っていない。家に行くと毎回デカビタをもらえたことだけ覚えている。(母方の祖母宅では毎回オロナミンCをもらえたので、幼少期はもらえる栄養ドリンクの種類で両者を区別していた。)

 

 大垣から小浜に向かうにつれて、ぽつぽつと雨がふりはじめた。駅近くのコンビニで傘を買い、途中の神社で雨宿りしつつ、昼食に寿司を食べ、漁港などを歩く。小浜は古くから「御食国(みけつくに)」として、塩や海産物の物流拠点となり重宝されてきた街だ。京都へと向かう道は鯖街道と呼ばれ、通っていた大学の近くにある出町商店街などへとつながる。へしこ、という鯖の糠漬けが有名で、実家の食卓でもよく出ていた。京都との交流が深かったからなのか、街並みにも古くからの町屋や芝居小屋の名残がある。

 

 夕方になり、雨が強くなってきた。その日は観光協会が運営する、町屋を改装した一棟貸しのゲストハウスに一人で宿泊することになっていた。メールで届いた電話番号に連絡すると、観光協会の方が宿まで車で送ってくれるという。ついでに、街並みを案内してもらう。たたきつけるような雨の中、年季の入った車で細い路地をすり抜けるように走る。去年、フィンランドで森の中をスノーモービルで走り抜けた時のことを思い出す。

 

 小浜に着いてからずっと、正確に言うと大垣から向かう電車の中からずっと、自分の視点がどんどん外に遠ざかっていくような感覚があった。夜になって雨が上がり、小浜の街中を歩いていても、常にカメラのレンズを通して風景を見ているようで、自分がその街にいる感じがしない。翌朝、バスに乗って滋賀まで戻り、京都行きの電車に乗るまで、その感覚はなくならなかった。

 

 祖父は小浜をでて大阪で小さな会社を経営していたが、自分が小学校にあがるころに亡くなった。病気と聞かされていたが、実は自死だったことを知ったのは、高校二年生の時だった。先に書いた通り、祖父の記憶はほとんど残っておらず、亡くなった当時悲しかったのかどうかさえよく覚えていない。ただ、祖父の育った場所で同じ風景を見ればなにかわかるかもしれない、自分とのつながりが見つかるかもしれないと思い、小浜へと旅に出た。結果、自分は街の風景から疎外されていた。時間による変化、というだけではなく、もっと原理的な部分で離れているような気がした。

 

 今考えると、それは「同じものを見れば、同じ気持ちになれる」という前提によるものだったように思う。当たり前の話だが、そこに住んでいる人が見る風景と、観光客として見る風景は、視点が同じでも違うものだ。小浜の前に訪れた南知多、大垣でもその点は同じだったが、初めての街でゆっくりと時間をかけて歩く中で、街の風景を自分の経験として組み込んでいくことができる。それが小浜を訪れた際には、そこで生まれ育った祖父や、親の田舎として少年時代訪れた父の記憶が先行してあり、それらと今自分が見ている風景を、写真を並べるように相対化して見ていたのではないか。

 

 旅を終えて実家に帰り、両親にあらためて小浜の思い出などを聞いた。夏は海水浴によく出かけた、当時寿司屋はろくな店がなかった、でも街並みは昔と変わっていない、など今まで聞いたことがなかったことも話してくれた。いつか家族で旅行にいけるといいな、と初めて思った。