密度

 宮崎の好きなところを答えるなら、「密度の低さ」を挙げるだろう。どこへ行っても人が少ない。会社からの徒歩20分の帰り道、誰ともすれ違わないことも多々ある。以前住んでいた大阪や東京ではまずありえないことだ。飲食店などは混雑することもたまにあるが、屋外で混雑を感じたことは夏の祭以外に一度もない。

 

 この「密度の低さ」は、単に人と人との物理的な間隔にのみ由来するものではないように思う。宮崎の景観は、どれもこれも過剰なほど大きい。観光地として有名な高千穂峡鵜戸神宮都井岬など、いずれも途方もなく大きな自然の造形物からなるものだ。それらは個人の小ささを実感させてくれるだけでなく、いかに自然がコントロールできない、想像から外れたものなのかをあらわにしてくれる。ある友人は宮崎を「西部劇の舞台みたい」と表現していたが、空白だらけの地図を手に歩くように、自分の認識している世界の外側がまだまだあることを知ることができる。不自由ながらも楽しい空間だと思う。

 

 宮崎で暮らすには車が必須だと散々言われたが、一年半たった今も、一度も宮崎で運転したことがない。市街地であればスーパーもコンビニもあるため生活面で困ることはなく、維持費も高いという実利的な理由だが、観光をするには車がないとなかなか難しい。出かけるときはほとんど自転車での移動になる。日帰りなら片道20~30kmが体力的な限度なので、その圏内で行けそうなところを探す。が、大抵は想定しているよりはるかにしんどい道のりが待っている。上り下りが激しいからだ。市街地が一番標高が低く、周りは全部山で囲まれている。陸の孤島とよく言われるが、それは単に直線的な距離だけではなく、立体的な構造によるものだということが、自転車で旅をすると身に染みてよくわかる。

 

 これまで暮らしてきた大阪、京都、東京では、徒歩で街中を散策することが多かった。建物と建物、人と人が密集した合間を縫っていく。それも楽しいのだが、情報が密になった空間では、あくまで平面上の点同士をつなぐように街を理解しがちだ。情報が疎であるがゆえに、その間にあるもの、空間そのものを認識できるようになる。何もないからこそ見えるものもあるように思う。