坐禅

 ここ最近は特に集中力が落ちているように感じる。本を見開き一ページ読む間にもつい携帯を見てしまうし、動画も長尺のものをノンストップで見続けることが困難になってきた。

 

 情報の入り口が常に複数あって、目線がそれぞれに分割されている。注意を向ける数が増えるほど、個々の情報への関心や理解は薄まっていく。関心や理解が薄まれば、処理可能な情報の(見かけ上の)量は増える。そうするとさらにいろんなものに関心がなくなり…というループにはまってしまう。ループが回れば回るほど、自然と気分が落ち込んでくる。意識の範囲が不自然に拡張されることは、憂鬱の条件の一つじゃないかと思う。*1

 

 そこから脱出するには、なるべく情報を減らすことが必要だ。そう考え、昨年末に京都の寺で坐禅体験をしてみた。*2

 

 坐禅にはいろいろなやり方があるそうだが、そこでは「雑念が湧き上がっても、まるで電車の中から窓の外の風景を見るように、それらを追いかけることなくただ眺める」ように努めるべし、と教えられた。坐禅をしている間、その教えを忠実に守り続けていると、日常生活のいろんなものが自分から切り離されていくように感じてくる。見ていたテレビの画面が暗くなった時に映る自分自身のように、普段は意識されない自分そのものが浮き出てくるような感じ。たった15分×2回の体験だったが、終わった後も少しの間は雑念が消えた状態が続くので、その日は読書をしたり文章を書いたりがいつもより捗った。年明け自宅に戻ってからは、読書する前に坐禅をするようになったが、年末の鬱々としていた気持ちが少しマシになったように思う。

 

 以前友人に、「情報を得るための旅行」と「情報を減らすための旅行」の二種類がある、という話をされたことがある。歴史的な建造物などの名所を楽しむのが前者で、ただただ自然の中に出かけたりするのが後者。旅行にかかる時間やお金を考えるとつい前者を選びがちだが、今年はなるべく後者の比重を増やそうと思う。(年齢を重ねれば自然とそうなる気もするけど)

*1:最近読んだ中で面白かった記事。自我と身体のずれの話

https://note.com/akira1989/n/nf4a3b57f3092

*2:ほぼ毎日座禅体験があるので、参加しやすい。おすすめ。

http://shourin-ji.org/